大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和38年(ワ)8774号 判決 1969年5月31日

原告

吉田瑞生

代理人

原則雄

被告

明治乳業株式会社

代理人

石原輝

外二名

主文

被告と原告との間に原告を従業員とする雇傭契約関係が存在することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、被告が肩書地に本店事務所を置き、大阪、京都、淡路、埼玉県戸田橋など全国各地に工場五〇、営業所九などを設け、主として牛乳、乳製品の製造販売を目的とする株式会社であり、原告が昭和三二年三月高校卒業後直ちに被告会社戸田橋工場に臨時工として雇傭され、ついで同三三年一〇月本工に採用され、右戸田橋工場製造課製造係試験室に勤務していた従業員であつて、その傍ら被告会社の従業員をもつて組織する明治乳業労働組合に加入し、同三五年同組合戸田橋支部教宣部員となり、同三六年より引き続き右支部執行委員に選出されその地位にあつたこと、被告会社が昭和三八年八月一〇日原告に対し、原告が同年七月二四日午後三時三〇分頃その勤務場所である試験室で同僚数名の面前において右二四日付および翌二五日付の試験室所属従業員に対する勤務命令簿を同所に備えつけてあつたアルコールランプの火焔で焼却したことなどを理由として、右の事実は就業規則第五九条第一号の「会社の諸規定或は労働協約に違反したとき」、同条第三号の「正当な理由なくして上司の命令に従わないとき」、同第一七号の「その他懲戒をする必要を認めたとき」にそれぞれ該当するので、同規則第六〇条第六号を適用して、原告を懲戒解雇に処する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

二、原告は被告のした前記懲戒解雇の意思表示はその前提となる懲戒理由を欠く無効なものであると主張するところ、被告は該意思表示は原告において前記就業規則第五九条第一号、第三号および第一七号に該当する行為があつたためにしたものであると抗争するので、まずこれについて判断する。

1  従来、被告会社戸田橋工場における従業員の勤務形態は、出勤日、公休日、代休日、夜勤日については予かじめ前月中に各職場ごとに作成公表された一か月分の「公休表」にもとづいて行われ、早出、残業についてはその結果を「勤務日報」に記載する方法によつて行われていたが、同工場製造課の試験等六班では早出、残業についても一か月分を事前に「公休表」に記載する方法によつてされていたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、次に認定する事実が認められ、<証拠判断省略>

被告会社戸田橋工場における牛乳、乳製品などの製造計画の基本的大綱は本店生産部より毎期および毎月戸田橋工場に示達され、同工場では製造課の幹部が中心となつて右示達にしたがつて更に詳細な製造計画を立て、その実施に必要とする人員の確保、夜勤、早出、残業の計画を立て、他方同工場長と組合戸田橋支部長との間で前月末頃までに翌月分の組合員たる従業員の時間外勤務協定の折衝を進め、その締結をまつたうえで製造作業を遂行してきた。かようにして各月の作業所要人員などの計画が確定すると、製造課長より順次同課製造係長、主任、副主任、班長(以上の者が不在の時はその代理者、以下これに同じ)の職制に下達され、他方現場事務所において各職場ごとに所属従業員の氏名とその公休日、年休日、代休日、夜勤日を記載作成した一か月分の「公休表」(職場によつてはこれを「勤務表」と称したこともある。)が班長のもとに届けられてきた。また各勤務日における早出、残業などについては、その必要人員、勤務場所、勤務時間があらかじめ職制を通じて各職場の班長に口頭で下達されていた。もつとも前記試験等六班については、早出、残業が恒常的に行われていたため、前記争いのない事実のとおり公休表には右記載事項のほか早出残業の記載がなされていたが、右記載はおおよその予定であつて、各勤務日の早出、残業の具体的な決定は、班長において現実に作業に従事する従業員との間で協議し、早出については遅くとも前日の勤務終了時までに、残業については当日の勤務開始時より終了時までの間に、早出、残業などの作業に従事する者を確定し、あるいはいつたん確定した者を同じく協議によつて他の者に変更するなどして調整し、その結果を班長より上司に報告し、右の定めにしたがつて作業に従事した結果を勤務終了後退出時にそれぞれ「勤務日報」に記載し、これを上司に提出し、それが賃金計算の基礎資料にもなるものとされた。そして右のようにして班長から早出、残業にあたる者が確定した旨の報告を受けた副主任以上の職制がその内容を変更したり、調整をしたりなどすることはほとんどなく、そのため右協議により実質的に早出、残業などの作業に従事する者が決定し、かつそれによつて作業の遂行に著しい支障を生ずることもなかつた。以上のごとき状況は被告会社戸田橋工場製造課の試験等六班およびその他の各班でも同様であつたのみならず、他の課係でもほぼ同様に行われていた。

右に認定したところによると、被告会社戸田橋工場の一般的基本的な製造計画は本店生産部および右戸田橋工場関係の首脳部が立てこれを職制を通じて各職場に下達されるのであるが、作業現場においては最末端の職制たる班長と各従業員との間の協議にもとづいて現実に早出、残業などに従事する者が確定し、それによつて作業が行われており、それが長期間にわたり職場慣行となつていたということができる。

2  しかるところ、被告会社戸田橋工場では昭和三八年七月六日から、(イ)従前の「公休表」の表題を「勤務制表」と改め、公休日、年休日、代休日、夜勤日のほか早出、残業命令を事前に右書面に記載することにしたが、早出、残業については一か月分の計画を立てることが困難なところから、一〇日分をそれぞれ二日前に記載しこれを各職場に配付して従業員に対してそれぞれの勤務日および勤務時を指示することに改めたこと、また(ロ)従業員が右による勤務日および勤務時の変更を希望するときは、前日の正午までに「勤務変更願」を上司に提出し許可を受けるべきものとしたこと、さらに(ハ)従前の「勤務日報」の表題を「勤務命令簿」と改め、右勤務割表と勤務変更願にもとづいて勤務命令簿を作成し、前日午後二時までに掲示することにより、翌日の早出、残業およびその職場などを各従業員に指示するように改め、これを実施することにしたこと、すなわち新しい制度によれば、勤務割表によつて残業を告知し、これを勤務変更願によつて修正したところによつて勤務命令簿を作成し、それによつて各従業員の具体的勤務形態が最終的に決められるものとなつたこと、被告会社戸田橋工場では右のようにして変更した新制度を実施するにあたり、その前後数日にわたつてその趣旨、目的、内容などを指示したほか、工場長、製造課長などが職場ごとに同様な説明を行い、全従業員にその趣旨を周知徹底させるように努めたことは、いずれも当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

被告会社戸田橋工場における早出、残業に関する右制度改正前の従業員の勤務形態および実情は前示のとおりであり、それによつて作業の進行に格別の支障を生ずることもなかつたが、被告会社本店管理部が昭和三七年一〇月戸田橋工場につき実施した業務監査の結果、同工場の時間外勤務の管理が不備であるためこれを改善するよう指摘され、ついで同三八年一月の全国工場長会議の席上およびその後の社長通達によつても同様な指示がなされた。他方昭和三八年に入つてから間もない頃から組合においてとくに時間外勤務時間短縮の方針を強化したため、被告会社戸田橋工場でも同年三月の時間外勤務協定の折衝にあたり組合支部では一か月一人最高限四五時間の案を出したが、被告会社では右四五時間をもつて業務を支障なく運営するには各従業員の時間外勤務を均等化する必要があり、そのため右協定締結の条件として、従業員は各人時間外勤務についての会社の割当に従う義務がある旨を主張した。これに対して、組合支部においてはたとえ工場と支部との間に右時間外勤務協定が成立しても、従業員が現実に時間外勤務を行うか否かは各自の自由意思に委ねられているとの立場をもつていたので、被告会社の右主張に反撥し時間外勤務協定の締結が著るしく困難となり、被告会社は余儀なく組合支部と一日一日の時間外勤務協定を締結した時期もあつた。さらに組合支部は時間外勤務に関する右の考え方に立つて、所属組合員をそのように指導したため、組合所属の従業員の多数はこれに従い、残業要員として予定していた者が私用その他により上司に断り、または何らの届出もしないままに退社してしまつたりなどする事例がしばしば生じ、そのため時に作業計画を円滑に実施できなくなり、工場では急遽アルバイト学生などを集め急場をしのぐといつたような事態までも生じた。昭和三八年初頭戸田橋工場長として着任した竹内栄一は以上のような戸田橋工場における時間外勤務の実態をみて、かつ労働基準法(以下「労基法」という)に定めるいわゆる三六協定があり就業規則にもその旨の定めがある場合には、右協定に定める時間の限度内において会社は従業員に時間外勤務を命ずる権限があり、また従業員はこれに従う義務があるとの見解に立つて、右の実態を急速に改善する必要があるものと考え、業務管理の適正化と従業員の私生活の尊重および時間外勤務負担を均等化することによつて、正確にして円滑な作業の遂行と秩序ある職場体制の実現を図るため、従業員の作業実態などを調査し、さらに本店人事部とも連絡をとつたうえ、前示のとおり従業員の勤務形態を主として文書をもつてする方式に変更する新制度を採用することにした。

3  <証拠>を総合すると、次の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

被告会社戸田橋工場では前述のごとき動機および趣旨のもとに同工場に勤務する従業員の勤務形態に関して前記の新制度を昭和三八年七月六日から実施することになつたが、工場側では右新制度は従前の労働条件に何らの変更をきたすものではなく、たんに業務管理上の技術的改善にすぎないものであるため、組合支部との協議ないしその同意を必要とするものでないとの立場をとり、組合支部に対してはこれが実施直前の同年六月三〇日頃労使双方の代表者をもつて構成する工場協議会が開催された際に初めて書面を中心とする新制度を導入する旨を口頭で発表し、ついで翌七月一日に同趣旨の掲示をした。これに対して、組合支部は三六協定が成立していても各従業員が時間外勤務をするかしないかはその自由意思によるべきものであるとの前示見解を堅持し、かつ、工場側の態度は従前からの職場慣行、従業員および組合支部の意向をまつたく無視する不当なものであるとして強く反対し、また現場の従業員も事務部門など極く一部を除き、大部分の者は、従来の勤務形態とくに早出、残業などは班長と従業員との間の協議によつて実質上決定されていたにもかかわらず、新制度では早出、残業勤務を命ずる勤務命令簿によつて命令されるものとされたことなどに強い抵抗を感じ、あるいは文書を中心とする新制度とりわけ早出、残業勤務を変更する場合には勤務変更願を前日正午までに提出し、かつ代替者を定めたうえ上司の許可を得なければならないものとする点に甚だしい煩雑さを感じ新制度の導入に反対の態度をとつた。このような状況下で組合支部は工場側に対し新制度導入に反対し、従前どおりの取扱を維持するよう申し入れたが、工場側は先の態度を維持してこれに取りあわず、新制度は会社所定の手続であり、問題があれは組合本部を通じ被告会社本店と折衝してほしいという態度をとり、昭和三八年七月六日から新制度実施に踏み切つた。しかしながら、右のごとく職場における大部分の従業員が新制度に反対であつたため、末端の職場では容易に新制度による方式を実行しようとせず、旧制度のままの取り扱いを続けたのみならず、同年七月中は新たに工場が配布した勤務命令簿などを隠匿、汚損、紛失する事例が続出し、勤務命令簿を提供すべき班長がこれに代るメモを作成して上司に差し出したりなどしたこともあつた。

なお、かように新制度の実施後、勤務命令簿などの滅失、隠匿、汚損などの事例が少なからずみられたため、戸田橋工場では再三にわたつてこれを厳重に制止し警告を発したことは当事者間に争いがない。

4  原告が昭和三八年七月二四日勤務時間中の午後三時三〇分頃その勤務場所である試験室において同僚数名の面前で右二四日および翌二五日付の試験室所属従業員に対する勤務命令簿を、「こんなものは必要ないものだ、毎日燃やしてしまえ」などと述べながら、同所に備えつけてあつたアルコールランプの火焔で焼却したことは当事者間に争いがない。

5  被告会社は、原告の前示勤務命令簿焼却行為は就業規則第五九条第一号、第三号および第一七号に該当すると主張する。

(1)  そこでまずその前提として右勤務命令簿の法的性格について検討してみることにする。

右勤務命令簿は、被告会社戸田橋工場が組合支部との間に三六協定を締結し所定の手続を経由した後、同支部所属の組合員その他の従業員に対し早出、残業などの時間外勤務を命令する場合に、その日時および場所などを記載した被告会社の文書であることは前示のとおりである。そこで被告会社がその従業員に対し、果たして右のごとき時間外勤務を命ずる権限を有するか否かを考えてみる必要がある。使用者が労働者に対し時間外勤務を命ずるためには三六協定を締結し所定の手続をとらねばならぬことは労基法によつて明らかであるが、右の手続を履践することは単に使用者が労働者に基準労働時間を超過する労働をさせても労基法違反にならないという公法上の効果を生ずるにとどまるため、使用者が労働者に時間外勤務を命令し、労働者がこれに従うべき私法上の効果(労働義務)を生ずるためには、他の要件を必要とする。しかして、他の要件として、労働契約、就業規則で労働者が時間外勤務を行う義務のあることが明確にされている場合あるいは時間外勤務の協定が労働協約の形式で取りきめられている場合があげられ、これを積極に解する立場もある。しかしながら、労基法に定める基準労働時間を超えて時間外勤務を行う義務を認める労働契約、就業規則は、三六協定のもつ前示公法上の効果を超えて個々の労働者に時間外勤務に関する具体的義務を定めるものであるならばその限度において労基法に違反して無効であり、また労基法所定の最低労働条件以下の労働条件を労働協約に定めることは、協約の本質に背反するばかりでなく、前示の限度において労基法違反として無効であるといわねばならない。けだし、労働者は、労基法に定めるところに従つて従属労働から解放される自由を享受する利益を保障されなければならないからである。このように時間外勤務に関して三六協定、労働契約、就業規則、労働協約などいかなる形式をもつて取り決めをしてみても労働者にその義務を生ずることがないが、ただ三六協定成立後、使用者から具体的な日時、場所などを指定して時間外勤務に服して貰いたいとの申込みがあつた場合に、個々の労働者が自由な意思によつて個別的に明示もしくは黙示の合意をしたときは、それによつて労働者の利益が害されることがないから、その場合に限り、私法上の労働義務を生ずるものと解するのが相当である。

本件についてこれをみるに、被告会社が戸田橋工場の従業員に対し時間外勤務を命令しうるためには、組合支部との間に三六協定を締結し所定の手続をした後、従業員に対し前示のごとき申込をなし合意を得ることを要するのであるから、右の手続を充足しないままに従業員に対し時間外勤務を命ずることは許されず、したがつて、その手続を充足しないで被告会社の作成した勤務命令簿は法的には被告会社から当該従業員に対する時間外勤務に関する申込とみる以外には格別の意味をもつものではなく、従業員は同命令簿の記載内容にしたがう時間外勤務をなすべき義務を課せられることはないものというべきである。

(2)  よつて進んで原告の勤務命令簿焼却行為が被告主張にかかる就業規則の関係条項に該当するか否かについて考察する。

(イ) 就業規則第五九条第一号は、「会社の諸規定或は労働協約に違反したときを」懲戒事由として規定するが、勤務命令簿の法的性格が上述のとおりであり、また原告が当該勤務命令簿に記載された時間外勤務に服すべき旨の合意をしていないことは弁論の全趣旨に照らし明らかである。そうすると、原告が右命令簿を焼却した物理的行為に対する評価はしばらく措き(後掲(ハ)参照)、原告は右命令簿によつて被告会社に対し時間外勤務命令に服すべき義務を有しないのであるから、原告には会社の諸規定あるいは労働協約に違反するいわれがなく、右就業規則の規定に該当するものではない。

(ロ) 就業規則第五九条第三号は、「正当な理由なくして上司の命令に従わないとき」を懲戒事由として規定しているが、前段で述べたとおり原告には勤務命令簿に記載の被告会社よりの命令に従うべき義務を有しないのであるから、原告の前示所為は同じく右規定に該当することがない。

(ハ) 就業規則第五九条第一七号は、「その他懲戒する必要を認めたとき」を懲戒事由として規定しているが、右は同じく懲戒事由を規定する就業規則第五九条第一号ないし第一六号に列挙する事項に直接該当しないとしても、これに準ずる程度の行為を懲戒の対象とする趣旨のものと解される。ところで被告会社の従業員が勤務命令簿その他会社の物品を焼却することをもつて直接懲戒の対象とする旨の規定は見当らないが、<証拠>によると、就業規則第九条第九号では「無断で会社の物品を持出したり、会社内で私物を作つたりしないこと」が要請され、これに対応して同第五九条第四号が「会社の金品を私したり、会社内において私物を作つたとき」を懲戒事由としていることが認められる。右就業規則第九条第九号、第五九条第四号は要するに、会社の所有に属する物品その他の財産に対する侵害を禁止し、これに反する行為が懲戒事由になるものとする趣旨にほかならないが、原告の前示勤務命令簿焼却行為は会社の文書を滅失毀損するものにほかならず、会社所有物件に対する侵害という点において会社の物品を持ち出す行為と同等に評価するのが相当であり、その意味において右行為は就業規則第五九条第一七号に該当するといわねばならない。

6  右に説示したとおり、原告の前示勤務命令簿焼却行為は被告主張の就業規則第五九条第一号、第三号には該当しないが、同条第一七号に所定の懲戒事由に該当するから、この点に関する被告の抗弁は理由がある。

三、次に原告は、前示勤務命令簿焼却行為が懲戒事由に該当するとしても、該所為を理由として原告を懲戒解雇の処分にしたことは重きに失し、懲戒権の濫用であると主張するので、これを審究する。

1  <証拠>によると、就業規則第六〇条は被告会社の行う懲戒処分としては、戒告、譴責、出勤停止、賠償、懲戒解雇およびその他必要な処分の七種があり、その二つ以上を併科しうるものと定めていることが認められる。かように数個の懲戒処分が段階的に規定されている場合に、そのいずれを選択するかは懲戒権者たる使用者の完全な自由裁量に委ねられているのではなく、懲戒原因となる行為の動機、態様その他諸般の事情を勘案し、懲戒事由を懲戒処分との間に社会観念上相当とみられる均衡の存在することを必要とし、とりわけ懲戒解雇は労働者を企業より一方的に排除する極刑ともいうべき処分であるからこれが許されるためには、当該労働者をそれ以下の懲戒処分に付する余地がない場合であることを要し、使用者がその裁量を誤り均衡を失する懲戒処分をしたときは、権利の濫用として無効であると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、原告が前記認定のごとき態様のもとに会社の文書たる勤務命令簿を焼却したことは甚だ軽率にして穏当を欠く所為であつたといわざるを得ない。しかしながら、他面、(a)勤務命令簿の法的性格が前叙のごときものであつて、同命令簿の記載内容はこれに合意しない従業員に対しては何らの労働義務を課するものではない。(b)しかも被告会社戸田橋工場が勤務命令簿その他の新制度を導入するにあたつては、該制度は従前の労働条件に何らの変更を与えるものではなく、たんに業務管理上の技術的改善にすぎないため、組合との協議ないし同意を必要としないとする立場をとり、組合支部に対しては実施直前の昭和三八年六月三〇日頃開催の工場協議会の席上で初めてこれを発表し、翌七月一日には同趣旨の掲示を出し同月六日から実施したが、その実施の前後を通じ組合支部が反対の意思を表明したけれども、工場側は右の立場を堅持してこれに取りあわなかつたことは前に認定したとおりである。ところで、<証拠>によると、被告会社と明治乳業労働組合との間で昭和三七年三月に締結された労働協約第二八条には「組合員の労働条件に関する協議事項」、「その他会社組合双方が必要と認めた事項」などを経営協議会の付議事項とするものと定め、また同年同月一三日右当事者間に締結した覚書には右の規定を受け、「組合員の労働条件に著るしい影響を及ぼすと予測される施策に関する協議も含まれる」旨を確認していることが認められる。してみれば、被告会社戸田橋工場において従来長期間にわたつて職場慣行として行われてきた従業員の勤務形態に大幅な変更を生ずる勤務命令簿などの新制度を導入することは、組合員の労働条件に著るしい影響を及ぼすと予測される施策にあたるものとみるのが相当であるから、これが導入に際しては、まず被告会社戸田橋工場における労使折衝の場である工場協議会に提案し、組合支部との間で十分な協議をつくしたうえで実施すべきものであつたというべきである。しかるに、被告会社戸田橋工場が右の手続をとらず、急速に新制度の導入を実施したことは前示労働協約に違反し、労使間の信義則に反する不当な措置というべく、組合支部が右のごとき被告会社戸田橋工場の態度に強く反撥し、新制度撤回、旧制度維持の協議を申し入れ、かつ所属組合員に対しそのような指導をしたのは極めて当然なことであつたといわねばならない。

以上のごとき事情のもとにおいて、勤務命令簿その他の新制度の実施に強く反対する組合支部の執行委員たる地位にある原告が、勤務命令簿無視の態度をとり、これを焼却したことには会社側の不当な措置に大半の責任があるのであるから、前示勤務命令簿焼却の事実を原因として、被告会社が原告を懲戒解雇にしたことは、社会観念上相当とみられる均衡を失するものというべきである。

2  被告は、右焼却行為のほかに、原告が残業命令に従わず、かつ所定の勤務変更願を提出することなく無断で退社し、その勤務態度が不良であつたことを、原告につき懲戒解雇の処分を選択した補強的事実として指摘するので、これを審案する。

原告が勤務命令簿などの新制度が実施された後の昭和三八年七月九日、同一二日および同二五日につきそれぞれ残業勤務を命ぜられたにもかかわらず、これを拒否したことは当事者間に争いがなく、また原告が右三日の残業勤務に服さなかつた際、勤務変更願を提出しなかつたことは本件弁論の全趣旨によつて明らかである。しかしながら、被告会社戸田橋工場が従業員たる原告に対し残業勤務を命ずるためには、会社側の申込に対し原告が自由な意思によつて個別的に明示または黙示の合意をした場合に限るところ、全証拠を精査してみても原告が前示残業勤務をするにつき右のごとき合意をしたことを認めうる資料がないから、被告会社戸田橋工場は原告に対し前示のごとき残業勤務を命ずる権限がなく、原告がこれを拒否したのは当然であり、かつそれについての勤務変更願もこれを提出する必要がなかつたのである。そうだとすると、原告に前示のごとき所為があつたからといつて、その勤務態度が甚だしく不良であるとすることはできないから、右の事実をもつて、被告会社が原告に対し懲戒解雇の処分を選択したことの不均衡を是正することはできない。

3  してみれば、被被会社が原告の前示懲戒事由に対して懲戒解雇の処分を選択したことは、その裁量を誤り社会観念上相当とみられる均衡を失しているため、右懲戒権の行使は権利の濫用として無効であり、その効力を生ずるに由ないものといわねばならない。

したがつて、原告は依然として被告会社の従業員たる地位を有するにもかかわらず、被告会社がこれを争つていることは明らかであるから、原告は被告との間に原告を従業員とする雇傭契約関係が存在することの確認を求める利益を有する。

四、よつて、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由があるのでこれを認容し、訴訟費用は敗訴当事者たる被告に負担させることとし、主文のとおり判決する。(西山要 岡垣学 瀬戸正義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例